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日本のトランペットの歴史

日本最初の喇叭奏者





陸軍喇叭教官 鈴木高信墓


 慶応2年(1866)の春、徳川幕府は、横浜表に置いてフランス陸軍将校以下10余名を招聘して、歩騎砲三兵の伝習を開始した際、御料所歩兵卒(後の近衛兵)32名が、約半年間ラッパを習った。 これが信号ラッパの始まりである。
 もっとも慶応3年には、「騎歩兵大隊教練之号音」というフランス式の本格的なラッパ教本をフランス兵学を修めた和歌山藩士上田良輔が編曲して日本で印刷している。これは日本で音符を印刷した最初であろう。
 明治元年(1868))徳川藩の沼津兵学校の教官中の「ラッパ教授方」鈴木三郎の名がある。この人が青山墓地に墓のある「故陸軍喇叭教官鈴木高信」の墓であると思われる。昔の人の名であるから「鈴木三郎高信」と呼んだのであろう。
 明治7年に創立された陸軍戸山学校の教官に鈴木某と梅沢某という喇叭専門の教官がいた。梅沢は明治6年に軍楽生徒募集の事務をしていた記録が残っている。

 さてこの墓は鈴木家の墓所にあって碑の高さ2メートルほどの自然石で、裏面に明治13年没と銘してある。
 この鈴木高信なる人は、慶応2年に横浜表で、フランス人ラッパ教官に習った人か、あるいは明治元年頃 京都の兵学校あたりで教わったのかもわからないが、とにかく日本のラッパ吹き第一号であることには間違いない。


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