君が代について

1.明治という時代



 1868年、徳川幕府が滅び 明治政府が誕生した。
文明開花の名の下に政治、経済、文化などすべての面で急速に近代化、つまり西洋化していった。
日本のものがすべて悪く、西洋のものがすべて良いという風潮はこのときに始まり、現在なお余韻が残っている。
ここでは音楽のことに限って述べていきたい。

古来からある日本の音楽は、明治の文明の教師である西洋人達に非常に受けが悪かった。
たとえば大森貝塚の発見者であるモースは
 日本人に日常は人目につきにくい所まで芸術的に洗練されているが、音楽はまことに理解しがたく、船頭に「奇妙な歌」や建築労働者の「不気味な歌」は頭を抱える程で、外国人の立場から言わせると日本人は音楽に対する耳をもっていないらしい。彼らの音楽は最も粗雑なもののように思われる。
と 後の著書に書いている。
琴の音は「調律をしているのか と思った」とか そのほかにも例をあげれば切りがないほど評判はすこぶる悪い。
 このような評判を聞いて文明人気取りの明治の政治家や官僚達が日本伝統音楽を捨てようとしたのは当然かも知れない。
しかもこの時代の西洋音楽はまさに頂点を迎えていた。

 明治元年、ヨーロッパでは
ベルリオーズ(65才)、リスト(57才)、ワーグナー(55才)、ブルックナー(44才)、J、シュトラウス(43才)、ブラームス(35才)、サンサーンス(33才)・・・・・等 素晴らしい顔ぶれである。
マイスタージンガー初演(明治元年)、ウィーンの森の物語(明治元年)、ドイツレクイエム(明治元年)、カルメン(明治5年)、白鳥の湖(明治7年)・・・・どうだ!
この時代に生きた西洋人が日本の音楽を酷評するのは当然なのである。

 この西洋音楽に興味は持っても 学ぶということは一般人にはとうていかなわなかった。

 いち早く行動に移したのは、明治2年「薩摩藩軍楽隊」(明治5年、海軍と陸軍に分派)、明治3年「雅楽局」、明治6年「キリスト教会」、明治12年「音楽取調掛」(後の東京音楽学校、東京芸術大学)であった。
この中で「国の威信を表し列強各国に肩を並べるためには国歌が必要である」と いち早く関係者に訴えたのが薩摩藩軍楽隊であった。
 音楽の政治的利用はどの国も まず軍隊の訓練から始まった。
行列ではなく行進させるためである。

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 この軍楽隊の教師はイギリス公使間護衛隊歩兵大隊の軍楽隊隊長のジョン=ウィリアム・フェントンであった。

1869年(明治2)10月、横浜市中区の妙香寺で青年薩摩藩士30余名に軍楽伝習の教習を行ったのが、日本洋楽の第1章とされている。
フェントンは直ちに英国ベッソン楽器会社に一揃いの吹奏楽器を注文、翌年1870年(明治3)6月に到着した楽器を使用して実技練習を行い、同年9月には山手公園音楽堂で英国軍楽隊と共に演奏できるほどに練習の成果を上げていたらしい。
このフェントンは温厚な性格と豊富な知識?から皆から尊敬されていたという。
でも このフェントンがくせ者なのである。
 ある日、日本に国歌がないということを知ったフェントンがイギリス国歌の話をし、国歌の必要性を説き、もし歌詞があれば自分が作曲するといった!
その話は大きな波紋を投げかけ、ただちに話し合いがもたれ、その結果、歌詞の作成あるいは選定を薩摩藩砲隊長大山巌に依頼した。
 その結果、「新作ではなく古歌から選ぶべきである」という助言を受け、自分が平素愛用していた「君が代」を提案した。
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